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WHAT'S SENSUAL 舞 ART ?

SENSUAL 舞 ART (センシュアル 舞 アート)

 

セクシーな色気とは違うセンシュアル(知性と品のある)な色気を

​ひと、異性、世間に媚びるわけでもない

女性として年齢を重ねても、​凜とした姿で表現する

30代に自然と内側からあらわれた即興の舞の

舞手として活動してから

現在は「あらゆることが舞」

またわたしにとり、「舞=祈り」でもある

ヒーリング、写真、文筆などに舞を見出し

「SENSUAL 舞 ART」は新たな藝術の一形態として表現

 

またデヴァ・ミーラの生き様​

人生そのものでもある

誰にもこびず

群れず

​舞うように進みゆく

​自由な生命体

 

My Story

小さいときから、まわりとどうも自分は一緒ではないと、孤独感、疎外感を持ちながら

​ひとりで過ごすことが多かった。

からだも大きい。子供らしさもなく大人っぽくて、同級生とも好みや感性も全く違う。

どうして自分は人とこんなに違うのか、と悩んだ時期も長かった。

上の兄弟や、学校で男の子の同級生に体型など、自分のもっているものを

否定されてきたのもあってか、​自己否定観も強く、顔や体型でもコンプレックスの塊で育った。

「なぜ?」と生きづらい時期も長くあったが、それがあってこそ、外見だけでなく

内面(感性を磨く、美やファッション、絵画、映画などにふれる等)を磨くことに費やすようになった。

自分なりの「美とは何か?」を、とことん自分自身を見つめながら、自己受容に意識を向けて過ごす。

​自分との向き合いをしながら、その時に感じたこと、やりたいと思ったことを本能的にやりとげてきた。

36歳のとき、「内なる女神性を体現する写真を撮りたい!」と、屋外の裸身撮影を

プロカメラマンに撮影してもらえる機会を得た。

同時期に「究極の舞とは、何も身につけず舞うことだ」と、自然の中で一糸まとわない姿で

舞うことも実現した。当時、なぜか内側から本能的に求めることは、やりとげてきた。

​いまだに苦手で(笑)好きになりきれない写真だが、それでも自らを大きく解放できるツールで

あることは間違いない。

写真には不思議な魔法のような力がある。だから、今でも続けているゆえんである。

ひとが体験しえないようなことも経験してきて、思春期からひそかに抱いていた官能性の扉も開いた。

自らの解放を遂げ 心とからだもずいぶん生きやすく変容していった。

​自らの性のトラウマを越えるため、性の探究と同時に、内側から自然とあらわれた舞を深めるため

特殊な巫女の道に入った時もあった。

 

身体の探究、からだと心の姿勢、立ち居振る舞いなど​自分にとって生涯の宝、というものも

貴重な体験、学びを通して、身につけることとなった。

ひとと違うこと。個性、オリジナリティ、感性の高さ。

今はそれらが最高に自分の強みであり、魅力であると思っている。

真剣一発勝負で、崖からとびおりるように、後悔しない

生と死

創造と破壊

いつかは朽ち果てると

​わかってるなかで

はかなく

有限であり

​幽玄の美

いのちの賛歌というべきものを

​これからも

全身全霊で表現していきたい

​いつか肉体を離れるまでに

悔いなど残すことなく。

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